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Author:深沢千尋
みなさんこんにちは、深沢千尋です。(公式ページ
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ここでは、多くは技術的でないこと、ごくまれに技術的なことをなげやりに書いていきます。
メールは suguwakaruPerl@gmail.com まで。(アットマークは ASCII に)
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WIN-WIN

ベストセラーであり、「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」「道は開ける(デイル・カーネギー)」と並ぶ、巷に溢れる自己啓発書(「成功哲学」という言い方もある)のタネ本となっている本、「7つの習慣(スティーブンRコヴィー)」から始まった言葉で「WIN-WINの関係」というのがある。(言葉としてはもっと古いそうだ。)
ウィンウィン、と言うことで言いやすいせいもあってか、有名な考え方だ。

商売ごとは客と店の間に利害関係がある。
店はなるべく粗悪な品質のものを少量、高額に売れば、少ない資本投下で大きな儲けが出るからうれしい。
客はなるべく高い品質のものを大量に、安価に買い叩けば、少ない支払いでいい買い物が出来るからうれしい。
対立しているわけだ。
労働者と経営者の間にもこの関係が成り立つ。

しかし現実社会では店には競争相手がいるので、野放図に品質を下げて値段を上げているとどんどん客が逃げてしまう。
そこで、何らかの工夫(大量生産をするとか、流通経路を変えるとか)をして、値段を上げずに品質を上げる経営努力をする。
すると店も儲かるし客も喜ぶ。
ゲームにおいて両方が勝利者になる。
WIN-WINだ。
ゲームなのに両方が勝つ、この矛盾した状態に導くのが真のビジネスマンだ。
こんなところだろうか。

現実には品質を下げていながら品質を下げずに価格だけを下げたように言い張る、客に品質チェックのノウハウがないのを利用してラベルを張り替える、というのが昨年大問題になった食品偽装事件だった。
この場合店は客を出し抜いて儲けたが、客はだまされて粗悪品をつかまされた。
WIN-LOSEだ。
でも現実には天網恢恢疎にして漏らさずで、店は司直の手によって罰せられ、経営権を奪われた。
それで客が溜飲が下がったかと言うと、一度変なものを食べさせられた事実は消えないし、すべてが賠償されるわけでもないだろう。
何より、食への安心が失われ、心の平安が失われたことも大きい。
結果としてLOSE-LOSEであった。

ここで少し暴論になるが、客の側にもまったく責任がなかったわけではないと思う。
ランチが500円とか、安ければいいという最近の風潮が店を追い込み、弱い業者を偽装に走らせたのではないか。
日本人は携帯電話の料金などに比べて、食品に金を使わな過ぎだ。
きちんとした食を求めるにはそれなりに代価を支払うものだ、という常識を働かせることで偽装が防げた面もあったと思う(高級店が偽装をしてたりしたので一概に言えないが)。

話を戻すが、WIN-LOSEは不安定な関係であり、店と客に対立があるからLOSE-LOSEに移行しやすい。
店も客をだましているのだから心に平安は得られない。
よってWIN-WINを目指すべきだ、ということなのだろう。
(スイマセン、実は「7つの習慣」は購入していながらまだ未読であり、この項は推測で書いている。)




十分な数の競争店があり、社会に常識が働き、司直や報道機関がチェック機能の役割を果たしていれば、WIN-LOSEの不公正はいわゆる見えざる手が働いて淘汰され、WIN-WINのみの社会に移行していくと期待できる。
これは「自由競争があれば世の中は自然によくなっていく」というアメリカ的な哲学だ。
現実には競争力のある大手が赤字覚悟で安値攻勢を掛け、地元の小商店を根絶やしにして利益を寡占する、というウォルマート商法のようなものがある。
多くのアメリカ人消費者がウォルマートに満足していて(だからウォルマートは儲けている)店客というミクロな関係ではWIN-WINが成り立っている。
しかしウォルマートは地方の3次産業においてウォルマート以外の店を成立させ得ず、仕入れもどんどん中国製に移行するので米国内の2次産業も弱体化していく。
そうするとアメリカ人は職を失うからウォルマートで買い物をするのもままならなくなる。
これは長期的に見てLOSE-LOSEの関係である。
このようにウォルマートぐらい大規模になると短期的、局地的な現象と長期的、全地球的な現象を両方見ないといけないということになる。

サラ金という職業がある。
あるサラリーマンが、今月ちょっとギャンブルで負けが込んで生活費がショートしてしまった。
そういうときに当座のお金を借りる。
中小企業の経営者が銀行に借りるのは商売にヤマタニがあるからで、そのうち大きな商売があるのを見越して当座の回転資金を借りている。
それに対してサラリーマンは月々の収入が一定である。
だからサラリーマンにお金を貸すのはおかしい。
ある月が赤字になったら、ずーっと赤字になると思うのが自然だからだ。
サラリーマンはお金を借りるとき「次の月節約すればいい」と思うかもしれない。
でも、だったら今月節約すればよかったのである。
生活費に響くほどパチンコで負けが込む人は、たぶん次の月も、その次の月もずっと節約できない率が高い。
だったらコーヒーの代わりに水道水を飲み、玉子掛けご飯でも食べてグッと支出を絞り、今月でも遅くないから支出を節約した方がよい。
サラ金は毎月何万人の客を相手にしているから、不幸な客を、より不幸になる確率が高いことをあらかじめ知って、知りつつ、甘言で客を騙して金を貸している。
サラリーマンは当座の金策が付いてHAPPYだし、サラ金は将来利子が入るのでHAPPYだ。
短期的にはWIN-WINの関係である。
しかし長期的にはサラリーマンはサラ金を使うことで、「今月苦しいなあ」ぐらいの状況からさらに悪化する可能性が高い。
すぐにWIN-LOSEの関係に移行する。
サラ金もサラリーマンが逃げるかもしれないし、自己破産するかもしれないのでリスクを背負っている。
社会の目はサラ金に厳しいから、明らかにサラリーマンの責任で始まった関係もサラリーマン有利で決済できる可能性が高い。
にもかかわらず、サラ金は危険を冒して金を貸しているのだ。
長期的にはLOSE-LOSEの関係に終わる率が高い。

こうしてみると、WIN-LOSEは不安定な関係だから早晩何らかの事件が起こってLOSE-LOSEになる率が高い。
するとWIN-WINにしましょう、客を喜ばせるために商売をしましょうというのは道徳的なお題目ではなく、利益を安定的に上げるために合理的な行動であると分かる。
ただ、短期的なWIN-WINなのか、長期的に安定的なWIN-WINなのかという見極めも必要である。

食品偽装のような犯罪行為は最初からWIN-LOSEであり、比較的早期にLOSE-LOSEに移行することが目に見えている。
目先の利益に目がくらんで客をだます道を選んでいるのだ。
よくバブル期の経済犯罪などで、エリートサラリーマンが「会社に命じられてやりました」「これも仕事だから仕方ないんです」と公然と言い訳していたが、あれは最初からWIN-WINの関係を築こうとしていなかったのだから仕事の名に値しなかったと、今でなら後知恵で言えそうである。

今話題になっている激安商品というのはどうだろうか。
経済が悪いので客は使える金が少ない。
そこで店は通常では考えられない値段で品物を売る。
短期的、局地的にはWIN-WINである。
しかしその裏では、たとえば中国から危険な製品を輸入している。
中国は工場の環境基準や製品の安全基準が日本やアメリカなどに比べて明らかに低い。
労働者の権利も低く、賃金も低い。
この構造を、日本やアメリカの商社が知って、知りつつ、それを援用して安価に製品を生産させているのだ。
危険な食品を作っている中国の業者は「日本の不当な安値要求が事態を生んだ」と言っているケースもある。
「盗人猛々しい」という言葉が当てはまるだろうが「泥棒にも三分の理」という言葉も当てはまる場合もあるだろう。
買う側は、そういう危険があることを知りつつ、消費者には隠してそういうハイリスクな生産を行わせている。
そういう意味では長期的、全地球的にはWIN-LOSEだ。
しかし、生産の方法によっては、工場の労働者の低賃金さえ目をつぶれば、あるいは、工場周辺の環境悪化にさえ目をつぶれば、安全な製品を安価で生産することも可能だろう。
消費者もそういうことはうすうす知りつつも、経済も悪いし背に腹は変えられないよね、ということで買っているケースもあるだろう。
中国製品の危険性もこれだけ問題視されると、こういう巧妙なケースに移行していくのではないか。
この場合、客と店の間のWIN-WINは低いレベルで安定的に保たれると言えないか。
店と客が共謀して中国の人民と地球から搾取しているわけである。
店だけでなく客も、消極的にせよ、モラルを捨てると言う形で搾取に参加している。
「知らなかった」というのもまた罪である。
この関係はWIN-WINでは解けない。

数年前、笑福亭鶴瓶がやった「FNS27時間テレビ」で、鶴瓶が番組のシメで「店よし、客よし、世間よし」という言葉を言って話題になった。
これは強欲で知られた近江商人のスローガンである。
つまり、商売ごとは、
・店が儲かる
・客が喜ぶ
だけでは不十分で、
・世間が栄える
という三要素が揃って初めてまっとうな商売になる、ということであろう。
つまりWIN-WIN-WINだ。

生き馬の目を抜く競争社会の中で社会や地球のことまで面倒を見てWIN-WIN-WINを目指すと言うのはなかなか難しいと思う。
ぼうっとしている間に旧来のWIN-WIN業者や、WIN-LOSE業者に負けてしまう。
となると「いや自分のところは他の業者さんと違って社会全体、地球全体を考えているから高いんですよ。他の業者さんをのさばらせていたら貧しい国の人や地球環境が疲弊して、最終的にもっと高いツケを我々全体が支払うことになるんですよ」ということをアピールする必要も出てくるだろう。
また、エセ環境論を唱えて高い値をつけたり国家の補助金を得て、現実には私腹を肥やすと言う複雑なケースも出てくるだろう。

そもそもいい社会とは何か、という問題になってくるとイズムの問題になるから早々に結論は出ない。
正義と言うのは人の考え方で本当に違う。難しい。

一昨日書いたがタリバンがバーミヤンの磨崖仏を破壊した。
あれはタリバン的には世界を偶像崇拝の魔手から救うための正義の行為であったと思う。
ブッシュはイスラム原理主義者の破壊活動のことを「テロ=絶対悪」と呼んでいたが、浅薄な物言いではあるが、イラクに行けばアメリカ軍の方がよほどテロリストである。

アフリカの一部では女性器切除というのが宗教的儀礼として残っていて大問題になっている。
ぼくも一刻も早く、場合によっては国際的武力を行使してやめさせた方がいいと思う。
しかし現地の人は「これは文化の問題だ」と言いはっていると聞く。
これも「泥棒にも三分の理」ではないが、文明の発展段階が低い場合は、そういう選択もあったのだろうと思う。
年頃の娘が家にいて集落の中で誘惑的な存在である、それが家長にとって悩みの種である。
文明国のように家に強固な鍵が掛かるわけでもなく、子供が学校で高度な技芸や社会性を身につけるわけでもない。
貧しいために身を鬻げば容易に金が得られるという誘惑も大きい。避妊具も容易に手に入らない。
そういう中で、女性の性を抹消してしまえば風紀が簡単に守れる、という、どうしようもない「浅知恵」だが、そういう考えが文化としてあったのではないか。
女性は顔をさらさない、というイスラムの教えにも通底していると思う。

今の日本では子供から携帯電話を取り上げようという論議が盛んである。
ぼくも現状では取り上げた方がいいのかなと思うが、それでかわいそうな子供もいると思う。
よく深夜の駅前で、塾のカバンを持った子供が携帯で親を呼んでいる。
親は仕事帰りであろう、車でやってきて子供を拾っていく。
あそこまで子供を勉強させないと安心できないのか、あそこまで働かないと生活を維持できないのか、それは他人が軽々に口を出せることではないけど、とにかくそういう家庭にとって、携帯は救いの神である。
夜道で変なおじさんに付きまとわれてもサッと親や警察を呼べる。
GPS機能が入っているのでどこにいるかも伝わる。
また、親に虐待されている子供が、友達や社会とつながる命綱として携帯が機能しているケースもあるであろう。
どれも不幸なケースだし、携帯が子供に害をなしているケースの多さに比べれば誤差の範囲で収まるレアケースかもしれない(これはきちんと統計を取ってみないとわからない)。
しかし、「とりあえず携帯は禁止」という、大人社会には口当たりのいいルールに飛びついてしまうのも、なんか安易だな、という感想を持つ。
携帯はあるけど、でも安心、というのが上の上だと思うのだ。

なんか変な話になってしまったが、考え中のことをそのまま書くとこうなるので仕方ない。

ところで、プロスポーツ選手や職業軍人は、必ず自分が勝って相手が負けることで成立している商売だが、この場合はWIN-WINの原理は成り立たないのだろうか。
まあ顧客は戦う相手ではなく、自分が戦って勝つことで喜んでくれる味方側、ということだろう。
そうするとあらゆる商売は単純な主客関係では捉えられないということなのだろう。

純粋なトレーダーは人が損することで自分が得するのか、自分が純粋に得するだけで自分の知恵は誰にもコントリビュートしないのか、とトレーダーの人に聞いてみたが、いやトレーディングが盛んになると資金の流動性が高まり、才覚のある商売人に資金が効率よく高まるのでそれがコントリビューションになるのだ、と言っていた。
しかしトレーディングはいい商売人の株を買うだけでなく、悪くなった商売人の株を売ることで初めて利益が出る仕組みである。
この関係にもWIN-WINがあるのだろうか。

芸術家はどうだろう。前に書いた道端で人糞を投げていたダダカン氏は極端にしても、一人作業場にこもって自分の芸術を追及している人は、顧客や社会へのコントリビューションということを考えているのだろうか。
考えることでむしろ邪魔になる場合はないだろうか。
真善美が単純に一致した世界では、いいものを産み出せばそれがそのまま社会への貢献になり、その対価として豊かになって当然だという考え方になるのだろうが、必ずしもこの世界はそうではない。

結局WIN-WINという考え方は「すべての人は『善き』ものを目指している」「すべての人にとって『善き』ものは同じものである」という前提の許に成り立っている。
それをなお疑ってしまえば、もう一段上の(と単純に言うべきか分からないが)哲学が必要になる。
まあぼくはさしあたり単純に人が「助かるわー」と思うことをして生きていくつもりではあるが。
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