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書評:イーディスの日記

今回は昔読んだ本の中で特に面白かった本を紹介する。

パトリシア・ハイスミスの『イーディスの日記』という本だ。



と書いてはみたが、上のリンクを見て分かるように、本書は絶版である。もっとも文庫の絶版は入手しやすいので上のアマゾンやブックオフで入手して欲しい。

文庫は本当に絶版が多い。ある作品が好きになると同じ作者の他の作品もすべて読みたいと思うのが人情だが、そう思って新刊書店に行っても絶版になっていてガッカリすることがしばしばである。いきおいブックオフやアマゾンを利用することになる。作家の人はブックオフやアマゾンを飯の種を奪う存在として嫌うことが多いが(実際その通りだが)利用する方はこのような事情でやむを得ず使っているのだ。で、その古本の横に新しい本があったら、たとえ新刊書店で入手できるかもと思っても、わざわざ新刊書店に出向き直して高い値段で買い直すということはなくて、ついそのままブックオフで買ってしまうのだ。こういう現象に危機感を持っているのなら、出版社は旧著を絶版にしないで欲しい。旧著の名作は制作費も掛からず、場合によっては印税もいらない。いい投資だと思うのだが。

それにしても今のように新刊書店に売れ筋の本ばっかりがガーガー置いてあって、ちょっと古い本はもう手に入らない、という状況はここ数年のことではないだろうか。ぼくが学生の頃は新刊書店でももっと点数がいっぱいあって、別に古本屋とか図書館にわざわざ行く必要がなかったような記憶があるがどうか。

いかんいかん。年寄りの繰り言はやめよう。気を取り直して先に進む。

ハイスミスはルース・レンデルやマーガレット・ミラーと並ぶ女流サスペンス小説の大家である。この3人はいずれもイヤーな人生をイヤーな感じで書いた小説が多い。日本にも戸川昌子という同系譜の大家がいる。なぜいやな人生を書いた本をわざわざ読むのか。自分でも不思議な気がするが、カタルシスが得られるのである。

ハイスミスは『太陽がいっぱい』や『見知らぬ乗客』、『アメリカの友人』などの映画の原作でも有名で、一頃作家の小林信彦がやたら紹介していて、それが効を奏して扶桑社ミステリーや河出文庫で全作品が文庫化された。もっともほとんど絶版のようだ。『太陽がいっぱい』はアラン・ドロンの映画と、特にそのオチで有名だが、小説もめちゃくちゃ面白い(オチが違う)。最近映画化された『リプリー』の方が小説に忠実なのだが(オチは違う)、忠実なだけにかえってつまらなかった。最近小説の再映画化でこのパターンが多い気がする。

『イーディス』は題名どおり日記にまつわる話だ。

いまどき日記といえばブログであるが(そうでもないかな)本ブログは日記的なことを書いていない。いや、昨日腕立て伏せのことを書いたので、これがまあそうかとも思うが、これも続けるかどうかわからない。人のブログを見ると日記的な部分が面白いので、自分でも書こうと思うが、実際に書こうとすると、いまいち文章が進まないのだ。
やはり、恥ずかしい。
恥ずかしいことをしたらそのことは書かなかったらいいとも思うが、たとえそのときはいいことだと思って書いても後々読み返して恥ずかしいこともあるだろうし、いいことばかり選んで書いているその根性が恥ずかしい気もする。知らない人に読まれるのも恥ずかしいし、知り合いに読まれるのも恥ずかしい。見栄を張るのも恥ずかしいし、現実をさらけ出すのも恥ずかしい。ということで、今後もそういうことは書くまいと思う。

以前読んだメタ小説的な小説で、日記の書き方に苦労する、というものがあった。文章というのは多くの場合他人に向かって書くものだが、日記は自分に対して書くものだ。それを自然に書くのは意外と難しいのではないか・・・ということで、いろんな日記の書き出しを試みては挫折する模様がいろいろとコレクションされているというもの。これも面白かった。
特にニキオという架空の人格に向かって書けばいい、というのが笑った。「そんなことだからモテないんだよ、ニキオ。」とか書いていて、でもよく考えるとニキオって俺自信のことみたいだな・・・みたいな。清水義範の本だと思い込んでいたが、もっと若い、久住昌之とかの本かもしれない。本自体どこかに行ってしまった。誰が書いた何という本かご存知の方はご一報くださるとありがたい。(ひどいな!)

日記文学の歴史は古い。今普通に読まれている、地の文を誰が書いたか分からない三人称小説というのは後になってできたもので、小説はまず日記形式や書簡形式で書かれていたそうだ。でもそんな異常な長さの日記や手紙というのは不自然だし、書き手たる人物は最後まで死なず、長い日記や手紙を書ける場所にたどり着くということが事前に分かっているのが問題になる。谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などはこの構造を逆に援用していてすばらしい。

もっと一般的に一人称で書かれた小説になると『吾輩は猫である』とか『アクロイド殺人事件』という変わったパターンもある。たしかアシモフの登場人物がやたら雑談している安楽椅子推理シリーズ『黒後家蜘蛛の会』でこの問題を議論している会があった。(上のリンクは第1巻だが、1人称の問題が出てくるのは第1巻ではないと思う。)誰かが「あとアクロイ・・・」などと言い出して、明らかにアクロイド殺人事件のことを言おうとしているのだが、エチケット上触れられない、というのが面白かった。(ぼくがバッチリ触れてしまったが。)

日記ではなくて書簡体の小説ということで言えば夢野久作の『瓶詰の地獄』というのも面白かった。孤島に漂着した人が瓶に入れて流す手紙をテーマにした作品だ。と言って、今調べてビックリ。夢野久作の、米倉斉加年が表紙絵を描いている角川文庫って、『ドグラ・マグラ』と『少女地獄』以外全部絶版になってるのね・・・。こんなに狂ったようにリンクを張っても意味ないかも。あっでも『犬神博士』が復刻されるようだからこれから続々と復刻されるかもしれない。不況になると推理小説が流行るという江戸川乱歩説もあるそうだし。

『イーディス』の場合は主人公イーディスの日常を描いた普通の三人称の小説の中に、イーディスが書いた日記が挟み込まれている。この両者の内容を比較して読むのが面白いという趣向である。面白そうでしょう。ぜひ読んでください。絶版だけどな!
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