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Author:深沢千尋
みなさんこんにちは、深沢千尋です。(公式ページ
文字コード【超】研究 改訂第2版NEW!」「すぐわかるPerl」「すぐわかる オブジェクト指向 Perl」の著者です。
ここでは、多くは技術的でないこと、ごくまれに技術的なことをなげやりに書いていきます。
メールは suguwakaruPerl@gmail.com まで。(アットマークは ASCII に)
Twitterはじめました。@query1000です。よろしく~

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★☆☆☆☆か★★★★★か

Amazonのレビューというの、気にしてよく読む。
本家アメリカ Amazon.com のはものすごい長文で、プロが書いているのかとも思うし、一般庶民がそこまでヒマなのかと思う。
日本のはそれに比べてヒトコト系でグッとカジュアルだが、本を買うときは非常に参考にする。
たとえば「EclipseでJavaを開発するときはどの本を読むのがいいのかなー」とか思うと、似たような本が沢山ある中で、この本はここがよかった、ここがダメだった、と書いてあるので、自分の用途に照らして選べるわけである。

しかしながら、死刑廃止か賛成かみたいな日本の論点的なハナシを話題にした本になると、いきおい★5つをつける人と、1つをつける人と、キッパリ2つに分かれることが多い。
よく読んでみると、5つの人はその本の主張に賛成、1つの人は反対なのである。
実に分かりやすいが、これは単なる意見表明であって、書評ではない。
なんかレビュー読んでみると、コレ読まずに書いてるだけなんでないんじゃないの、というのが多い。
題名を見て、意見投票をしているわけである。
あまり意味がない。

これは自分にもあてはまることだが、本を読んでいて、著者の主張に賛同できる場合はウンウンとうなずいて読み、ああいい本に出会った、俺が言いたいことみんな書いてあるよ、と思って、すっかり納得、満足して、プーとおならして寝るわけである。
でもそれ読書と言えるのか。
読書と言うからには、本を読んだことによって自分が変わらなければならない。
ああそういう考え方もあったのか、そういうモノの見方もあったのかと、使っていなかった脳細胞が活性化され、それまでの自分とはより違うものの考え方が出来なければならないと思うのである。
あらかじめ知っていることを書いてある本なら、お金を出して買い、時間を掛けて読むだけムダであろう。

とはいうものの、まったく反対の意見が飲み込みにくいのも事実であろう。
また、賛成の意見であっても、まとまった内容でいろいろ深い内容が書いてあって、統計など調査して裏づけのあることが書いてあれば、やはり参考になる。
また、人間の意見というのは、賛成反対180°に分かれているわけでなく、ナナメ45°とか30°の意見が多い。
反対意見であっても、前提になる調査が乗っていたりすると、自分の見解が変更を迫られることも、少なくとも修正を迫られることも多く、勉強になる。
俺ぐらい知的な人間になると(そんなことわざわざ書く必要もないが)反対意見にこそ学ぶことも多いだろうと思う。

人間は自由にしていればいるほど、自由に考えることができるとパッと思うが、実際はこれは間違いだという。
人間自由にしていると、たとえば休みの日にゴロゴロ寝ながらお菓子食べて天井を見ていると、いまだかつてないイイ考えが浮かぶことはまずなくて、しょうもないこと、金が欲しいなあとか、仕事しないで金だけ欲しいなあとか、腹が立つあいついなくなっちゃうといいのにとか、ロクなことを考えない。
多少真剣に生きたとしても、世の中金だよとか、人間出世することが大事だとか、世間並みの考えしか浮かばないわけである。
人間は自由にしているだけではいい考えは浮かばず、従来ある世俗的な言葉に流される傾向がある。
これを頽落(たいらく)という。



この頽落という言葉を知ったのは、上の本なのだが、この言葉を知ったとき、すごく腑に落ちた。
この腑に落ちるという感覚は「これまで自分の中にモヤモヤした状態で存在したが、しっかりした言葉としてまとまっていなかった思想が、言葉として提示された」という快感である。
この快感は、多少自分の自由を犠牲にして、本を読んだり、知的な人と議論したりしないと生まれない。
実際には大人になってしまうと人と議論を戦わせるという機会はなくて、ほとんど読書である。
読書によって過去の意見を賛成であれ、反対であれ、あともっとよくあるのは何を言っているのかよく分からない状態というのがあるが、それをガマンしてギリギリ考えると言うことをしないと、新しい考えと言うのは得られない。
逆にある程度ガマンして新しい考えが得られると、新しい高みレベルに自分が上がるので、視界が開け、より思考の自由が得られるのである。
スポーツと一緒だ。
訓練し、筋肉をつけ、自由自在に動けるようになるには、ある程度自分をいじめて、不自由さに耐えなければならないのである。

よく「その意見には賛成だね」「反対だね」とばかり言っている人がいる。
もっと極端になると「その意見は正しい」「間違ってる」と言っている、お前は神か、という人がいる。
あれはイライラするものである。
アマゾンのレビューを見ていても「この本は正しいことが書いてある」「間違ったことが書いてある」とばかり書いている人がいる。
そんなになんでも知ってるなら本とか別に読まなくてもいいんじゃないか。
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